目次へ戻る

 

江守徹氏と日本の悲劇

2005年5月21日

宇佐美

 一頃、NHK問題、そしてライブドアの堀江社長によって仕掛けられたニッポン放送、ひいてはフジテレビの乗っ取り問題と、放送関係の話が連日のようにマスコミを賑わせておりました。

 

 そして、

放送にとって重要な公共性を金の力だけで支配してよいものか!”

と多くの方々が息巻いたりしていました。

勿論、

“今の放送が、公共性を云々できるようなご立派なものでない!”

と反論される方も居られました。

 

 この何十年、私は自分のラジオを聴いたことはありません。

そして、最近のテレビ放送には、テレビっ子(爺)の私は辟易しています。

 

 テレビ番組の提供者たちは、何故、若者たちばかりにおもねっているのでしょうか?

私は、知識欲旺盛 (いやいや、単なる知りたがり屋) であってTBSの番組『世界不思議発見』は大好きなのです。

なのに、この何十年(?)一度も見ていません。

とても残念です。

あんな素敵な内容の番組を何故クイズ形式で放映しなくてはならないのですか?!

(タレントと言われている方々の、コメントなしで、世界の不思議を紹介して欲しい気持ちが一杯です。)

 

 この件に関して、『週刊金曜日(2005年3月18日号)』の“永六輔 無名人語録”に次のような記述がありました。

 

折角のいい企画をくだらないクイズ番組にしてしまうのは理解出来ません

 観ている人たちをバカにしてるんだよね、結局は……」

 

 全く同感です。

更には、フジテレビの「楽しくなければテレビでない」の掛け声に全ての放送局が右へ倣えしてしまった結果なのでしょうか?

 

「お金をいただいて、作らせていただいていると思えば、バカになんか出来ないけどね」

 

 との、先の“無名人語録”記述ごとく『バカばかりの宴会騒ぎ』紛いの番組ばかりに辟易しています。

 

 その上、バカ騒ぎがない価値あるドキュメンタリーでは、無駄なBGMが流れてきて、画面への集中力を削がれてしまいます。

例えば、NHK教育テレビの国宝などを紹介する番組でもBGM(バックグランドミュージック)が流れてきます

(何故なのでしょうか?

確かに、映画や劇の場面では、音楽はその画面をバックアップする効果は絶大です。

なにしろ、その場面と音楽の両者が互いにマッチングするように制作するのですから。

でも、国宝等は違います。

音楽を如何に国宝にマッチングさせようとしても国宝は国宝として厳然として存在するのです。

音楽家が国宝にマッチングさせたと誇ったところで、それは、その音楽家の主観の下にマッチングしただけで、見る側の思いとはかけ離れているのです。

ですから、へそ曲がりな私は、“NHKなどが、音楽家達にBGM作曲演奏の仕事をばら撒く為の救済事業をしているのかしら?”と思ったりもするのです。)

美しい景色が画面から溢れ出てくる時に何故BGMが必要なのでしょうか?

BGMではなく、風の音、水のせせらぎ、鳥のさえずり、虫の声などをもっと聞かせて欲しいものです

 

 その上、たまに放映される貴重な番組でのナレーションの方々の作り声、だみ声にうんざりするのです。

 

なにしろ、NHKにしろ、テレビ朝日にしろ、力を入れて作る番組のナレーターには、江守徹氏が頻繁に抜擢されています

この事は、その番組制作者達が、江守氏の声を素晴らしいと感じているからなのでしょう。

 

そして、悲しい事に、我が国の首相である小泉氏までが、最近(原田芳雄氏や、故松田優作氏気取りで?)わざわざ「だみ声(喉声)」を出しているのです。

(それとも、ご自身の政治手腕に自信を失い「腹の底から声を出すこと」が出来なくなったのでしょうか?)

 

 ここで、私が、今は亡き世紀の大テノールマリオ・デル・モナコ先生邸に居候して「発声」を教わった体験を基に書きました拙文《日本の歌を歌う為の、日本独自の発声は、全く不要!》の一部を抜粋いたします。

 

『日本人の話し方が問題なのだ!』

 デル・モナコ先生の「教え」の、『話すように歌え!』という事が、私には大変難しかったのです。

“発声訓練をした後に、発声を全て忘れ、喉を自由に、話すように歌え!”との、デル・モナコ先生の「教え」に従って、デル・モナコ先生の前で歌いますと、デル・モナコ先生と、奥様の、“宇佐美!駄目!駄目!”の声が飛んできました。

そして、デル・モナコ先生はおっしゃいました、“宇佐美は、発声練習では完璧なのに、何故歌うと駄目なのだ?いっその事、歌でなく発声のコンサートでも開いたら良いよ!”と、私をからかわれたのでした。

 

 そして、デル・モナコ先生が、この世を去られた後のある日、奥様は、日米(?)合作の映画(『将軍』:イタリア語への吹替え無しで、(三船敏郎はじめ)日本語のままで放映された)をテレビで見た後、“何故、宇佐美の歌が、なかなか上達しないのか、判かったよ!日本では、日頃、あんなにも酷い話し方をしているだものね!”と、おっしゃいました。

 そうなのです、愛情込めてデル・モナコ先生御夫妻が、私に発声訓練して下ださっても、いざ歌う段になって、“発声の事を全て忘れて話すように!”となりますと、もう何十年も私に染み込んでしまった、いわゆる日本人の喉声が顔を出してしまうのでした。

 

 デル・モナコ先生が亡くなれた後、奥様とのレッスンの結果、私の話声自体も変わってきました、イタリア語だけでなく日本語も、母へ電話すると、母は私の話声が、あまりに変わったのでびっくりしていました。

当然、歌も進歩しました。

 奥様と、御別れして日本に帰って知人に電話すると、“宇佐美君!風邪ひいてるの?”と、知人はケゲンそうに尋ねられました。

しかし、この声も、日本で生活していると、いつの間にか、失われてしまいました。

デル・モナコ先生御夫妻の御指導の下では、1〜2週間で取戻せる声も、自分一人の力では、ほぼ10年掛りました。

 

 日本での日々の生活の中、テレビを見ていると、かってデル・モナコ先生の奥様が、腰を抜かす程驚かれた、あの声(喉を詰め、押し殺した声!)が、なんと満ち溢れている事よ!です。なんとその上、その声が日本では、「魅力ある声、美声」と言われているのです。

 

 そして、ここで掲げた『日本での「魅力ある声、美声」』が、江守徹氏(原田氏、松田氏……)の声なのです。

 

 かつて、作曲家の芥川也寸志氏、作詞家のなかにし礼氏と共に「N響アワー」の案内役を勤めておられた木村尚三郎氏(当時東大教授)が、NHK教育テレビでのドイツ文学の素晴らしい講義をされておられた際、ゲーテらの詩の朗読を江守氏に委ねておられました。

私は、木村氏の声のほうがずっと自然で深みがあって豊かなのに〜〜〜!と思いつつ、とても残念で不思議に思いました。

(只、一寸欲を言いますと、木村氏の声は鼻声でありました。)

 

 勿論、私とて、マリオ・デル・モナコ先生の教えを授かっていなければ、江守氏の声を素晴らしい声と今でも認識してしまうでしょう。

そして、江守氏と阿川佐和子氏との対談(2002年6月20日号の週刊文春)を読んで、江守氏の大ファンとなっていたでしょう。

でも、デル・モナコ先生の教えを授かった今では、江守氏の声に苦痛を感じるのです。

 

 ここで、阿川氏との魅力的な対談の一部を抜粋させていただきます。

 

江守 

……親父は僕が母親の胎内にいるときに戦死して。

阿川

お母様は随分苦労して江守さんをお育てになったんでしょうね。

江守

乳飲み子の僕を抱えているから、最初は売り食い生活でね。二歳半ぐらいまでいた一番大きな家の記憶もほんのちょこっと残ってるんだけど、それがだんだん小さな家になっていって。ちょっとの期間、本家のほうに行ったこともあったんだけど、母親は非常に個性的な人間だから、親父の父親とか七、八人いた兄弟と喧嘩になっちゃうんですよ。

……

阿川

 江守さんが仕事から帰って来るお母様を駅まで迎えに行ったら、なかなか帰って来なくて、あっちの改札口へ出ちゃったのかもしれない、いや、こっちの改札口かもしれないって走り回りながら、どんどん涙が出て来たっていうエッセイを読んだんですが、あれは素敵でしたねえ。

江守

 それは小学校二、三年の頃のことですね。

……

江守

 一人っ子で一身に愛情を注がれていたでしょ。そこに辛いもんがあったんですよね。贅沢な話だけどね。

……

阿川

 声変りする前はさすがに違うでしょうけれど、声はお芝居をされる前から通るほうでいらしたんですか。

江守

 ええ。僕はどっちかというとテノールで、中学時代、オペラ歌手になりたくて合唱部に入ったこともある

阿川

 もう、多才で嫌だな(笑).

江守

 でも、芸大に入る勉強するためにはお金がかかるから無理だと分かって、すぐ諦めて。まあ、根本的には俳優になりたかったんでしょうね。

阿川

 成績はどうだったんですか。

江守

 自慢めいてますがね、中学までは特に勉強しなくても校内の学力テストでだいたい五番以内に入っていた。

……

江守

 それで、俳優座養成所と文学座附属演劇研究所の両方受けようとしたんだけど、文学座のほうが試験が先で受かっちゃったんで、そっちに入って、あっという間に四十年。

……

阿川

 十九歳でもう主役に抜擢されて。お仲間に比べると役のつき方も相当よかったですよね。自覚はあったんですか、俺は周りよりなかなか……。

江守

 ハッハッハ、そんなこと言えないですよ、ちょっとねえ。

阿川

 だって、負けず嫌いでいらっしゃるわけだから……。

江守

 いや、それはね、アッハッハッハ、負けないとは思いましたねえ.台詞とか自然に喋るっていうことでは。

阿川

 陰でいろいろ練習なさって?

江守
 それが、我々のような新劇の俳優は、ピアニストやオペラ歌手と違って日常的に訓練するものってないんですよ。発声だって我々は自然な人間が自然に喋ってるのが一番いいわけ。以前の芝居は発声なんかやってるから妙に作り声になっちゃって嘘っぽいんだ

阿川

 そう、怒鳴るように囁いたりね。でも、新劇って、大きな声でハキハキとという教育じゃないですか。

江守

 そう.発声練習なんて笑っちゃうんだ。「高い山、低い山、大きな山、小さな山」っていうのをどう読むかといぅと、(高い声で)高い山、(低い声で)低い山、(ゆっくりと)お−きな山、(早口で)小さい山(笑)。「なんだい、こんなの簡単にできるよ、俺は」って、ハハハハハ。そんな程度なわけよ。

阿川

 私、お芝居観てると、やっぱり声が通る人は強いなと思うんですけど。

江守

 大きな声で喋っていたって、何言ってるんだか分かんなくちゃ意味ないわね。新劇のシェークスピア劇、ほとんどそうだけどね。何だか張り切っちゃって、でっかい声出して、「何、これ? 人間?」っていう感じばっかりだもんね(笑)。

阿川

 アハハハハ。

……

江守

 だけど、一番難しいのは自然に演ること。そうしたら、今や「静かなる演劇」なんていうのが流行っちゃって、ゴニョゴニョ言ってたり、同時に二人を喋らせたり、「何、これ? 頼むよ」っていうのもある(笑)。

阿川

 何言ってるのか分かんないの.

江守 ねえ。「おいおい、こんなものに一万円も出すのかよ」ってことになるじゃない。「じや、お前の芝居はどうなんだ?」って言われても困るんだけど。

でも、僕が求めているのは、僕が観客としてこういうものが観たいなと思うものができたらいいなということなんです。

……

江守

 映画を撮ってみたいね。でも、それ以前に、もっと舞台で自分でも満足できるような作品をやりたい。今までにも杉村春子さんのために十本ぐらい芝居を書いてきたけど、また自分で書いて。

 

 如何ですか?
なんと素晴らしい江守氏でしょうか!?

そして、いつもながら阿川佐和子氏もなんと魅力的なのでしょうか!

 

 私が、デル・モナコ先生の教えを授かるとの幸運に恵まれていなかったら、江守氏の大ファンになっているでしょう。

そして、又、江守氏が(又、阿川氏も)デル・モナコ先生に教えを受けておられたら、このような江守発言(阿川氏の質問も)は、確実に変わっていたことでしょう。

 

 先ずは、次の部分が変わってくるでしょう。

 

江守

 それが、我々のような新劇の俳優は、ピアニストやオペラ歌手と違って日常的に訓練するものってないんですよ。発声だって我々は自然な人間が自然に喋ってるのが一番いいわけ。以前の芝居は発声なんかやってるから妙に作り声になっちゃって嘘っぽいんだ

……

江守

 だけど、一番難しいのは自然に演ること。そうしたら、今や「静かなる演劇」なんていうのが流行っちゃって、ゴニョゴニョ言ってたり、同時に二人を喋らせたり、「何、これ? 頼むよ」っていうのもある(笑)。

阿川

 何言ってるのか分かんないの。

 

 この江守氏の「発声だって我々は自然な人間が自然に喋ってるのが一番いいわけ」発言は正しいのです。

でも、この「自然」を江守氏は誤認されているのです。

そして、江守氏の声に対する認識度は、40年前の私と大同小異です。

 

『歌大嫌い,オペラなんて特に大嫌い人間』だった私は、1961年、『NHKのイタリア・オペラ』のテレビの画面から飛出してきた世界最高の大テノールマリオ・デル・モナコ氏のオペラ「道化師」のアリア“衣装をつけろ”の歌唱に、すっかり圧倒されてしまいました。

 

そして、大テノールマリオ・デル・モナコ氏の声の大きさに感嘆しながらも、「マリオ・デル・モナコ氏の声は作られた声で、自然の声ではない!」と偉そうに勝手な判断を下した上に、「私は、もっと自然に歌ってマリオ・デル・モナコ氏よりもっと大きな声を出す!」と自惚れていたのです。

 

当時の私には、「自然な声」と「粗野な声」の区別がつかなかったのです。

タレント好感度ナンバーワンの明石家さんま氏の声が「自然な声」ですか!?

(話が逸れますが、「タレント好感度ナンバーワン=明石家さんま」では、この国の文化程度が疑われます。

声には下半身の力が重要な役割を担っています。

しかし、さんま氏の声は、「下半身が支えているのではなく、下半身自体が、そのまま口から飛び出して来ている」感じがします。そして、悲しい事に、さんま氏同様の声がテレビから大量に飛び出して来るのです。)

 

 日常会話に於いて、私達は、心のままを声に出しているでしょうか?!

多くの場合は自分の心を押し殺して話していませんか?!

当然ですが、演劇会場の隅々までに、私達の会話内容を伝えようとはしていません。

たいていの場合は、周囲の人には聞かれないように(迷惑とならないようにも)、目の前にいる人だけに話しています。

このようなとき、私達は押し殺した声で話してはいませんか?

そんな時の声は自然でしょうか?

(この面から、私達大人の声より、子供たちの声の方がより自然でしょう。

しかし、子供の声は未発達な面を有しています。

ですから、私は、小学生の頃、運動会などの学校行事の応援などで大声を出し過ぎて、翌日は必ず声が嗄れていました。)

 

 デル・モナコ先生に貴重な発声訓練を授かっても、“話すように歌え!”と言われ、歌い出すと、とんでもない声を出して、デル・モナコ先生を悲しませてしまっていました。

(なにしろ、私は、イタリアに渡る前の話し声、そして、歌う声も、私が日本で発していた

がなり声を自然な声と信じ続けていた」

のです。

なにしろ、 (自分では自然な声と信じていた) その声で、テノールの高い声が出れば世界を征服できると妄信していたのです。

そして、デル・モナコ先生がこの世を去られた後でしたが、自分の今までの話し声がちっとも自然ではなかったのだ!と気が付き、そこで、初めて歌の進歩が始まったのでした。

 

 ですから、江守氏の次なる発言を目にすると、江守氏が大変お気の毒に思えるのです。

阿川

 声変りする前はさすがに違うでしょうけれど、声はお芝居をされる前から通るほうでいらしたんですか。

江守

 ええ。僕はどっちかというとテノールで、中学時代、オペラ歌手になりたくて合唱部に入ったこともある。

 そして、ご自身の声を自然な声と誤認されているのですから。

 

 江守氏が、デル・モナコ先生のご薫陶を得る機会を持てていたら、立派なテノールか歌手として世界中で活躍されておられたかもしれません。

そして、次のような発言もなさらなかったでしょう。

阿川

 私、お芝居観てると、やっぱり声が通る人は強いなと思うんですけど。

江守

 大きな声で喋っていたって、何言ってるんだか分かんなくちゃ意味ないわね。新劇のシェークスピア劇、ほとんどそうだけどね。何だか張り切っちゃって、でっかい声出して、「何、これ? 人間?」っていう感じばっかりだもんね(笑)。

阿川

 アハハハハ。

 

 ここで、阿川氏の「声は……通る」、「声が通る人は強い」との発言から、阿川氏は「通る声」の存在をはっきり認識されておられるようです。

(只、残念ながら、江守氏の声を通る声と誤認されておられるようです。)

ところが、江守氏は通る声の存在に全く気づいていないのです。

江守氏が「大きな声」と認識されている「新劇のシェークスピア劇、……」の声は、間違った大きな声なのだと認識されていないのです。

 

そして、「通る声」と、「間違った大きな声」この二者の端的な違いは、日常的にはテレビから流れてくる声で認識できます。

通る声」で語られる内容は、テレビのボリュームを上げなくても聞き取れます、「間違った大きな声」で語られる内容は、テレビのボリュームを上げてやっと聞き取れる?)

 

 ですから、この違いを知っていたら、江守氏は“「新劇のシェークスピア劇」の発声は間違っている!”と大声を上げた筈です。

 

 そして不思議なことに、この対談記事の最後に、阿川氏は次のように書かれています。

 

 お会いするのは二度目だと思っていたら、去年、私がシャンソンコンサートの司会をしたとき、江守さんが歌手として登場なさったことを失念しておりました。でも初めてお会いしたときのことはよく覚えております。インタビューの仕事を始めたばかりの頃、緊張してろくな質問もできなかったのですが、江守さんはそのときも響き渡るような美声で演劇の話をたくさんしてくださり、……

 

 お気の毒な江守氏は、あの押し殺した声でシャンソンを歌われてご満足していたのかもしれません。

(なにしろ、例の押し殺した声で、女性用化粧品(?)のコマーシャルも押し通して居られるのですから。)

 

 阿川氏が認識されている「通る声」にて演じられれば、「ゴニョゴニョ言ってたり……」の声も「ゴニョゴニョ」ではなく、はっきりと聞き取ることが可能なのです。

そして、「通る声」を獲得している人物が「自然に演ること」を実践していれば、感情が高ぶった際には、必然的に「大きな声」となり、穏やかな気持ちの時は、自然に「小さな声」となるのです。

 

 そして、江守氏の声が、身体を使って発生される声ではない事のはっきりした証拠を私は知っているのです。

 

 今から何年か前、NHKのお昼の健康的な番組で、床に仰向けになって足を伸ばして寝そべり、片足を伸ばしたまま床から30度位の角度まで上げて、自分の名前(ひらがな)を足の裏で書く(腹筋)運動を行っていましたが、ゲストで出演していた江守氏は、そんな簡単な腹筋運動に耐える事が出来なかったのです。

 

 その程度の腹筋では、当然身体を使った声など出るわけはありません。

劇場の隅々まで、小さい声でも大きい声でも無理なく響き渡らせることは不可能です。

当然の結果、喉声になります。

身体を使わない発声では、強弱アクセントは付きにくいのですから、若者達のアクセントのないカタカナ言葉の氾濫となります。

でも最近では、テレビから流れてくる大人のカタカナ言葉からアクセントが消えてしまっています。

何故テレビに出演する大人までが若者のアクセントを真似しなくてはならないのですか?

何か、日本国中、腹の力が抜けてしまって、「のんべんだらり」と化してしまったようです。

 

 しかし、この喉声と、身体を使った声の区別は、(区別する能力が出来るまでは)大変難しいのです。

(なにしろ、江守氏を文学座にて抜擢された杉村春子氏も凄い「塩辛声」だったと記憶しています。)

私とて、長い年月の間、自分の声が喉に力を入れた声であることには気が付きませんでした。

そして、世界中の大多数の批評家達は

“マリオ・デル・モナコの声は凄いけど、喉に力を入れた声だ!”

愚かにも誤認していた(今でも誤認している)のですから。

 

 しかし、一度自分の声の欠点を自覚できると、進歩する事が出来ます。

テノールの音域の私は、バリトンもバスもそして、ソプラノの声も出せるようになりました。

トスティの歌曲集を歌うと、ほとんどが男の歌ですが中に数曲、女性の歌が入っています。

そんな時には、その曲をソプラノの声で歌うと大変楽しいのです。

(最初周囲の人たちはそんなこと止せ!と言っていました。でも、今は随分進歩しました。)

そして、歌劇『トゥーランドット』のアリア“誰も寝てはならない”をデル・モナコ先生のようにテノールで歌い、又、サラ・ブライトマンさんのようなソプラノでも歌うことは、大変楽しいのです。

進歩には限りがありません。

 

 しかし、自分の欠点に気が付かなくては、絶対に進歩はありません。

これは、江守徹氏の悲劇です。

でも、この江守氏の声に慣らされてしまう日本人の悲劇でもあります

こんな江守氏のだみ声を、若者たちが良い声と思って真似していったら悲劇です。

(『オセロ』以上の悲劇?)

 

江守氏のような『だみ声』が日本の伝統的な声なのでしょうか?

私はそうは思いません。

拙文《世襲議員の温床》の一部をここに再掲いたします。

 

1999年に、百歳で亡くなられるまで現役を続けられた浄瑠璃清元節の人間国宝の清元志寿太夫さんのお声は絶品でした

大変響きのある美声で、言葉の意味もはっきり聞き取れました。

 

従いまして、日本の伝統芸能に於いても、素晴らしい声で発せられた言葉は、当然ながら意味明瞭となるのです。

しかし残念な事に世襲化されてしまった他の能・歌舞伎役者からは、清元志寿太夫さんの様な声を聞く事が出来ません。

これは悲劇です。

 

 更には、最近NHKテレビでは、『シルクロード』の新番組が放映されていますが、放送の予告編を見ただけで、見ようとする意欲がそがれてしまいました。

ナレーターは前回の石坂浩二氏から、松平定知アナウンサーに代わってしまっていました。

松平氏の声は、石坂氏の深みのある響きを持った芳醇な声とは違って、全くのガサガサ声です。

そのうえ、BGMが五月蝿くて、本放送を見る気力が湧かず、今もって一度も見ていません。

 

 放送が「公共性」を謳い文句に掲げるのなら、制作者側は本物を見分ける鑑識眼に磨きをかけ、又、出演者側は自己の技術の向上に一層の努力を傾注、日本文化の発展に寄与して頂きたいものです

 

(補足)

2005年5月22日

今夜のNHK教育テレビで、“放浪記”林芙美子作品集より」を放映していました、主演の森光子氏、有森 也実氏(それと画家の役者の方)以外の出演者の声は(江守徹氏の言い分ではありませんが)聞くに堪えないものでした。

がさがさ声で、良く聞き取れません。

喚き声の氾濫でした。

特に、米倉斉加年氏の声は全く酷いものでした。


目次へ戻る